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マインド

【引き寄せ】自己観察で自分を客観視してみた結果

引き寄せ実践中・無職アラフィフおばちゃんのとしこです。皆さんこんにちは。

ポジティブシンキングやアファメーションで、いくら前向きに考えるようにしてみたり、願望を唱えてみたところで、心の奥で何かひっかかりを持つことがあります。

それはある意味「思考と内心が異なる」矛盾した状態になっていると言えます。

人間の感情は、反対されたり抑圧すると反発してしまいます。
心の奥でひっかかりを持ったまま、ポジティブポジティブと念仏のように唱えたところで、心の奥底にある「本当の願望」が強くなって引き寄せられてしまい、目の前の現実が理想に反したものになってしまいます。

わたしは断言法を実践したことがあるのですが、心の奥底でモヤモヤしたものをもったまま行っていました。ついでに義務感を持ってしまっていたので「アファメーションをする現実」が引き寄せられる結果になっています。

無職になって、引き寄せを再開して、凝りもせずアファメーションをしてみたりしましたが何かが違う。

あるサイトで「自己観察をしてみて、ネガティブを認めてみたら、現実が変わってきた」というものを発見。トライする価値はありそうだということで、自己観察をしてみました。2か月近く経過したので心境の変化などを報告します!

自己観察とは??

自己観察とは、自分の思考を客観的にとらえること。目の前で起きたことについて、あれこれ考えるのが人間という生き物ですが、それについて特にネガティブ思考を続けていると、ドツボにはまってしまいますよね。

人間は、目の前で起きたことに対し何らかの感情が働きます。そして、過去の経験などから思考を働かせて感情に意味を持たせていきます。

起きた出来事に対して出た感情に対して、ネガティブな思考を連鎖させていけば、引き寄せ的にあまり宜しくないのは想像できますよね。
でもって、ネガティブな思考は洪水のようにあふれてくるもの。よくこんだけ頭廻るよな・・・と自分自身に感心すら覚えてしまいます。

そんな状態のときは、思考にとらわれてしまっていると言えます。

というわけで、思考に囚われないためにも、浮かんだ思考に対して「ほーーん」と客観視する姿勢を養う・・というのが自己観察という手法です。要するに「突き放してみる」ってやつですね。

自分が持った願望に対して、現実世界は思ったようには動いてくれないことが多いです。
現実に振り回されてしまい、「どうせ願いは叶わないんだ」という思考が強くなってしまえば、「叶わない現実」が引き寄せられてしまいます。

そうならないためにも、出てきた思考を突き放して「他人事」に落とし込んでしまうのです。

わたしが行った方法

わたしは無職なので、例えば「これからどうしよう」とか、「貯金なくなったらどうしよう」「老後大丈夫なんだろうか」的なことをふと、考えてしまいます。(そんなことぐちぐち考えるなら仕事辞めるなよ、という話になりますがそれは置いておくとして)

そのときの不安感は半端ないです。
ブログの中身は比較的へらへらしていますが、内心は「やばいマジやばいどうしよう(以下自分が悲惨な状態になっているところをリアルに想像)」てな具合まで落ち込んでたりします。

うきうきしているところよりも、悲惨な状態の方がリアルに想像できるのってなんででしょうね。マイナスな情報が多くあふれているからでしょうか。ハッピーなものを敢えて拾っていった方がよさそうです。

わたしの自己観察の方法は以下の通りです。

  • マイナスな思考が浮かんだらノートに書く
  • それを眺めて「ほーーん」と言う
  • 起きた感情については「感じ切る」

それぞれもう少し詳しく説明しますね。

ノートに書く

マイナス思考が浮かんだとき、頭の中で客観視しようとしてもうまくいきません。連鎖が止まらなくなるため、面倒でも敢えてノートに書いています。「わたしは〇〇に対してこんな風に思っている」といった感じです。
文字に落とし込むことで、一旦冷静になれる効果もありますし、突き放しレベルが上がるのでお勧めです。

「ほーーん」と言う

言う必要もないですし、「ほーーん」である必要もありませんが、「そういう風に思っているんだー」と他人事のようにつぶやくことで、思考に対して自分を外側に置くことができます。

脳内でつぶやく、程度でOKです。余力があれば是非。気持ちが割と落ち着きます。

起きた感情については「感じ切る」

イライラしたり、どうしようもない不安感といった、強い感情は、そんじょそこらでどっかに行ってはくれません。
ただ、イライラも不安感も、意味付けさえしなければ、「心臓がばくばくする」とか「みぞおちあたりがキューーーーっとする」といった、ただの「身体反応」にすぎません。

深呼吸をして、心臓のばくばくや、きゅーっとした感覚が消えるまで感じ切ると、案外落ち着きます。

イライラした感情などは、それでも落ち着かないことがあると思います。
そんなときは「ああもうイライラする!」「なんなのこの現実は!!!!むかつく!!!」という風に声に出して炸裂させるのもありです。(声に出せる環境であれば)ただし、怒りと思考をリンクさせないようにするのがポイントです。

同じことばかり、マイナスなことばかり考えていることに気づく

わたしは無職で時間だけはたっぷりあります。時間があると、余計なことをあれこれ考えてしまうのは人間のサガってやつなのでしょうか。
マイナス思考がせっせと浮かんでくるので、そりゃあもうせっせとノートに書いていました。

小さいB6判のノートを用意したのですが、あっいう間に一冊終わりそうな勢いでした。
嫌で嫌で仕方ないこともあり、文字に起こすも思考がループしてしまうこともありましたね。

マイナス思考を掘り下げると根っこに潜んでる問題が見えてきた

ある日、ふとマイナス思考を掘り下げてみようと考えました。

わたしの場合、うまくいかなかったことをいつまでもうじうじ考えていたり、人生がとにかくうまく進まないといったことを考えていました。(暇だな・・・)何をやってもダメで、無能感が満載な状態です。

しかし何故こんな風に考えてしまうのだろうと思って、書いた思考に矢印でなぜそう思うのか、と自問自答をしてみました。
当然、大した理由は出てこないのですが、それに対してさらに「なぜ?」と続けてみました。

突き詰めた結果、すべては認められたい、自分は人とは違う特別な人間だと思いたい・・要するに、承認欲求をこじらせていたようなのです。よくある話ですね、はい。

わたしには兄がいますが、母は男尊女卑の世代のせいか、男が上、女は下と自然に見ていたようです。わたしのすることは(母の意にそぐわないと)大抵は否定から入られ、兄妹喧嘩をしても、なぜかわたしが悪いことになっていました。

父も賛成して大学に進学したはずなのに、後になって「お父さんは進学に反対していた」と言われたりもしました。

比較的早くに父を病気で亡くし、その後母の態度はあからさまに兄>>>>わたしとなっていきました。

母も、ある意味自分のモノサシがない人だったのでしょう。
わたしをいわゆる「いい娘」に育て「さすが〇〇さん」「良い母親」といった他人からの評価を受けることで、自我を確立させたかったのかもしれません。

また、母を見た人は大抵美人と言いました。残念ながら、わたしは父に似てそうでもありません。まあ娘は父に似るって言いますし。

母の自我は、美しいという部分ででも保たれていたと思います。だからわたしには「〇〇さんが父親に似て残念って言ってたよ」と、「母と似ていない」という事実を、嬉しそうに報告してきたりもしました。

だからでしょうかね、わたしの顔にはひどいニキビができて、そのまま20代の後半まで酷い状態が続きました(今は肌はかなり綺麗になっています)。当時は、自分の顔が大嫌いでした。今ではまあ好きです。

わたしは承認欲求がとても強く、常に外側のモノサシで自分の優劣をはかるところがあります。

結局のところは「母に褒められたい」「母に認められたい」という気持ちが満たされていなかったんです。

母との関係が、問題の根っこだったんだなということに、ようやく気付くことができました。ずっと長い間、見て見ぬふりをしてきた部分だったんだと思います。

向き合いたくない自分とも向き合うことに

母への感情はいまでも揺らぐことが多いです。許す許さないという以前の問題です。

ノートには、母に対して思うことも、されたことも、言われて嫌だったことも、できるだけ書き出しをしました。

その中で、自分自身もヒステリックに対応したり、常に母に対してイライラした態度をとっていたり、直接話すこともせず、被害者意識で逃げていたんだなということにも気付きました。

わたしは嫌なことがあるとすぐ逃げてしまいます。そしてそれを、大抵は人のせいにして自分はわるくない、とカラに閉じこもってしまうところがあります。

そんなところも書き出しをしてみたりもしました。

書き出しながら「そうか、わたしはそういう人なのか」と認めていく作業も、今では折を見て行っています。

一部をピックアップしているため、母は毒親のようですが、わたしはそこまでとは思っていません。愛情を感じる部分もありました。不自由ないように育ててくれましたし、特に、わたしが服や化粧に興味を持ったことや、動植物が好きなことは、母から受けたよい影響だと思っています。

大人になってからは、わたしが母を拒否していました。自分が拒否しているのに、相手からは愛情を貰おうなんて、それは無理だよね、と思います。母も、わたしに対してどう愛情を向けて良いかわからなかったのかもしれません。

ただ、母に対するあれこれは、なかなか自分の中では消化が難しいです。時間をかけるしかないですね。

変化は起きたか?

そんなことをぶつくさ今でも続けています。母とのことを代表的に書きましたが、それ以外にも、掘り下げをしていくと、色々と心の中の問題点が出てきています。

そして、2か月以上過ぎた今、書くペースは徐々に落ちてきています。そして、書く量も大分減ってきています。

マイナスな思考がないわけではないですが、ノートに書きだしたら止まらない・・・ということは少なくなってきました。ある程度書いて、ある程度感情を流したら、割とすぐに落ち着いてきているように思います。

まとめ

ちょっと自分語りも入ってしまいましたが、いかがでしたでしょうか。
良いものを引き寄せるためには、自分の中の問題とも向き合う必要が出てきます。
思考を客観的に見て掘り下げていくことで、見えてくるものだなと思いました。

この部分をクリアにしながら、アファなり何なりをしていけば、うまいこといくのでは、と少し期待しています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。