無職のアラフィフおばちゃん・としこです。みなさんこんにちは。
引き寄せについてせっせと勉強?しているわたしですが、ふと「これってもしかして引き寄せ?」と思ったことがありました。
わたしは今では割と普通の年齢肌なのですが(ニキビ跡の凸凹もありますし、毛穴全開だったりはしますし、シミもほうぼうにあります)、かつては吹き出物が顔中にできていて、フェイスラインが特にひどくて、真っ赤だった時期がありました。ちなみに20代のころです。人生一番楽しい年代なのに、です。
それぞれが化膿しているので痛いし、跡は真っ赤になってるし、どうしてよいかわからず鬱々としておりました。
最終的には漢方を中心に、食生活も見直しをしました、後は年齢的なものもあり、跡はともかくとして、吹き出物が3か月もすると出なくなったのです。
その後は特に大きく荒れることはなく、今に至っています。
ちなみに、引き寄せで気合を入れて治した!というミラクルがあった話ではありません。
漢方はきちんと漢方医に処方いただいていますし、食生活の指導も医師から受けています。そして、わたしの場合は漢方が合っていたんだろうなと思います。
ただ、マインド的な部分は引き寄せにも通ずるのではということで、書いてみようと思った次第です。
※あくまでもわたし個人の体験談となります。すべての方が、漢方が合うというわけではありません。
吹き出物が治らないときの心境
普段清潔にしているし、色々気を付けていたのにも関わらずなぜか朝新しい吹き出物ができていて、顔を見るのも嫌になっていました。そのため、周りの人たちと肌の話をするのがとても苦痛でした。
「このまま一生この肌なのでは」と思い悩み、新しいスキンケアを試してみて、一瞬期待をするも、変わらないどころか悪化しているように見えてため息の毎日。当然、四六時中肌のことを考えて生きていました。
それも「もっと悪化したらどうしよう」「ああ、また吹き出物が出てる」というマイナスなことばかり。
「周りの人も気持ち悪いと思ってるに違いない」と勝手に決めつけてもいました。さらには「こんな肌だからやりたいこともできない」と、自分が何も動いていないことの言い訳にも使っていたのです。
そんな風に気にしているので、吹き出物にばかり脳がフォーカスしてしまい、全てを結び付けていたように思います。
同じような肌の子もいましたが、とても朗らかで明るく可愛らしかったです。「わたしより酷くないからああなれるんだ」とこれまたマイナス思考でした。
ちなみに、悩んでいた時期(トータル7年くらいかと思います)の写真はあまり枚数がありません。特に肌状態がひどかった3年位の時期のものは、手元に1枚もないのではないでしょうか。
わたしの母がコスメが好きだったせいか、わたしも大人になったらコスメを楽しみたいという希望がありました。それも叶わないのかと思うとさらに悲しくなっていたのを覚えています。
スキンケアジプシー、食生活見直しの涙ぐましい努力でもダメだった
肌が荒れて悩んでいる人は、食生活やスキンケアには気を遣っているいる人が多いように見受けられます。わたしも、肌のためにと嫌いなレバーを積極的に食べたり(なぜか最近克服できるようになりました)、大好きなチョコレートを控えてみたりと色々試してみたことがあります。
スキンケアも、「良い」と言われるものを積極的に試しました。
スキンケアが難しいなあと思う点は、本当に自分にあったものを使っているかどうかがわからないところです。
肌に悩んでいる人なら経験あると思うのですが、カウンターにすら行きたくないので、ネットや友人の口コミでの通販、ドラッグストアなどでなるべく人に顔を見せない状態で購入したい、という意識が出てきますので、余計。
洗顔も、気になるから洗いすぎる→乾燥してバリア機能が落ちて刺激に弱くなる→悪化 のループになってしまったり。
勿論、皮膚科も行きました。
抗生物質で一瞬引っ込むものの、飲むのをやめると爆発!!という感じで「いたちごっこ」を心から体感していました。
少しだけ効果が出た?と思っても、しばらくすると「案の定」な状態になっていたりと、一進一退するだけで、気持ちも肌も負の無限ループ。肌に悩む時間だけが過ぎていきました。
高校生のときのニキビで家族に言われていたこと
気持の部分で言うと、スキンケアや食生活を見直しをして、すこし良くなったように見えても「どうせまたダメになるんじゃ」という気持ちが根底にあった可能性は高いです。事実、肌状態が悪化していくと、予想通りという、変な安堵感もありました。
「どうせわたしの肌は綺麗になんてならない」
「わたしの肌は綺麗になったらダメなんだ」
今思えば、自分で自分を否定していたわけで、無意識に悪化するように考えてしまっていたのかなと思います。若い女性で顔の肌に悩むというのは、かなりキツイことなので、そういう風に考えてしまうのも致し方ないのかもしれません。
しかし、どうしてこういう風にすべてを悪く思ってしまったのだろうか、とふと考えてみました。
思春期ニキビが花盛りだった高校生のときの、家族の言葉が一つのきっかけだったのかもしれません。
わたしには兄がいますが、兄はニキビができたことがありません。家族は遠慮がないのでぽろっと酷いことを言う傾向にありますよね・・・。
「うわっ、お前の顔、気持ち悪い」
悪気はなかったんでしょうが、年頃の妹に言う言葉じゃないですよねぇ。わたしは基本言われたら言い返す方なのですが、さすがにこのときは「うるさいな」程度の反論しかできませんでした。
ちなみに、二十歳を過ぎて、高校時代が可愛く見えるくらい悪化したときには言われませんでした。さすがの兄も遠慮したようです。
そのかわり、すっかり良くなった後に掘り起こされる形で言われました。言わなきゃ気が済まないんかい・・。もう過ぎたことなのでスルーできましたが。
漢方を試したあとの心境
そうこうしているうちに20代半ばを過ぎ、偶然に偶然が重なって、漢方にめぐりあいました。この出会いが大きかったです。
漢方の先生が脈を診たり、婦人科の傾向を聞いたりして、煎じ薬を出してくれました。
漢方は高く、1か月2万くらいしていたのではないでしょうか。
しかも、薬を煎じるためのマイコン煎じ器(高い)も必要だったので、それも一緒に購入。初期費用が特別に高かったですね。
ですが、その出費は惜しくなかったです。もちろん、毎月の漢方代も、惜しいとは思いませんでした。
せっかくの漢方、飲むだけではなく、煎じたあとの出がらし(袋のまま)をお風呂に入れて、さらにその袋を顔に当ててみたりと、とことん恩恵を受けよう!と試みていました。
食生活の指導もあったので「食べるのを控えて」と言われたものは、ほぼ食べませんでした。好きなチョコレートも入っていたのですが、なぜか苦痛ではなかったです。今は解禁していますが。
何かわからないですが「絶対良くなる」という安心感と信頼を全幅においていました。
一時期悪化するも絶対的信頼は揺るがず
漢方を飲むとよく言われるのが「好転反応」。わたしも当然出ました。漢方を飲み始めて一か月、吹き出物がさらに悪化したのです。ぼんぼん出てきました。
いくら漢方の先生から「好転反応だから」と説明を受けても、このまま良くならなかったら・・と思っていたら、途中で飲むのをやめていたかもしれません。
ですが、なぜだかわかりませんが絶対的な信頼と安心感を持っていたので、好転反応の説明を受け「これで良くなることがわかった」と確信を持つことができていました。
不思議なもので、わたしの中にいる自分自身は、「吹き出物が出なくなったわたし」という認識だったのです。また、良くなるとわかっているので、「この方法じゃなきゃ絶対にダメ」という気持ちもなかったです。
適度に重要度も下がっていたのかな、と思います。
気付いたら吹き出物が出なくなっていた
引き寄せでは、「願いが叶うという絶対的な信頼と安心」を置くと良い、と言いますがまさにその心境だったのだと思います。このまま悪化するのでは、ということは微塵も感じていません。
そして、願いが叶うころには、その願いのことは忘れている、とも言いますよね。
吹き出物が落ち着いたのが飲み始めて3か月後(ワンクールですね)。
そのころには吹き出物云々のことはあまり気にしておらず、ある日「そういえば肌綺麗になったね!」と人に言われて気付いたくらいです。そして自分でも「あーー、そういえば!」という感じでした。
勿論、「嬉しい」という自分の感情も、そのまま素直に受け入れました。「たまたま」「気を抜いたらまた・・」ということも感じていません。
肌が綺麗になっているところだけを想像していた
引き寄せでは、理想の自分に「なる」とか「なった」後は願望も放っておく、という話も良く聞きます。
わたしの場合、漢方に出会ったあとに「肌が綺麗になった自分」に既になっていました。どうして素直にそうなれたのかはわかりません。(それがわかれば、別なことに活かすのに)
実際、漢方を始めてから、コスメ雑誌を買って「この色いい!」「このスキンケアよさそう」とか、普通の肌状態の人のように、コスメを楽しんでいたように思います。そのときはまだ肌はズタボロだったのに、です。
もちろん、肌が落ちついた後は、カウンターに行って色を見てもらったり、スキンケアをお試ししてみたりとコスメを純粋に楽しむことができて、とても嬉しかったのを覚えています。
結果「普通の肌の人のように、コスメを楽しみたい」という願望も叶ったことになります。
まとめ
漢方にめぐりあってからのわたしの心の持ち方が、引き寄せの考え方と少し通じるものがあるなと思い、書いてみました。
この体験を思い出し、何かの引き寄せの役に立てないものか、と感じています。
漢方がきっかけで、自分を卑屈に見ないようになっていったと思います。自分が満たされていくと、良い結果が出るというのは本当だなと、今更実感しています。
あれから年月が経ち、年をとったいま、何かを疑いなく信じることは結構難しく思ってしまいます。自分の観念的なものが、若いときよりもこびりついてしまってしますからね。
自分自身に対する絶対的な信頼感と安心感を持てればいいのになーと思いつつ、自己観察を続けてみようと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。